すいらく流 水草水槽の奥義〜その1
「目的と手段」
  


魚や水草や微生物が共生する水草水槽を維持するのに「鍵」となる事柄についてのページです。
02.09.16 02.10.08


 

 
 「奥義」などと偉そうなタイトルをつけてみましたが、いわゆる「コツ」の話しです。私がふだん水槽(特に水草水槽)を維持する上で心掛けていることを書いてみました。ですから、あくまでも「すいらく流」です。
 どこか参考になるところがあれば幸いです。

 

1.水槽維持の「方法論」は「手段」であることを知るべし

 「いかにすれば濾過が効率良く行われるか」
 「水草にはどの照明が一番良いのか」
 「一番安く上がる肥料はどれか」
 「コケ取りにもっとも効果のあるエビはどれか」

 ・・・このような議論はアクアの趣味の世界で頻繁に取り上げられる。よってみなどこかで一度ぐらいは目にしたことがあるはずだ。
 しかし、こういった議論を「水槽を維持するための“手段”の話しだ」と分かった上で読んでいる人、あるいは、議論に参加している人は意外に少ない。最初は「水槽をうまく維持するには・・・」という視点から「手段」を検討し始めたはずなのに、話しが途中から変わってしまうことがよくある。「手段」の検討自体が「目的」に変わってしまうのだ。
 たとえば、「濾過の効率」というテーマの場合、ふつうの水草水槽なら“濾過効率を上げること”自体を目的にして検討する必要はまずない。浄化能力をもつ水草がたくさん植わった箱に更に浄化器をつけているのに、更にまたその浄化能力を上げることを徹底的に検討するのはナンセンスだ。それなりに適当な浄化能力があれば足りる。このような結論は、「水草水槽をうまく維持するには」という目的から出発し、その手段として「濾過の効率」を検討していけばすぐに導かれる。「濾過の効率」という、本来なら手段の部分からスタートするから変な方向へ進んで行ってしまうのだ。
 このような例は様々なサイトや本で見つけられるのでぜひご自分でも確かめて欲しい。「水草水槽をうまく維持したい」とか、「ブリーディング用の生体過密水槽をうまく維持したい」といった」、根本的な目的を意識しながら色々な本やサイトにあたってみると、手段と目的のすり替わった事例をいくつも発見するはずだ。

 したがって、我々がまず注意しなければならないことは、水槽維持の方法論は「手段」の話しであることを常に意識しておくということである。手段と目的とを取り違えてはいけない

 

2.次に、「手段」の妥当性は「目的」次第であることを知るべし

 次に知っておくべきことは、「手段の妥当性は、目的が何であるかによって決まる」ということである。

 極端な例を挙げれば分かりやすいだろう。
 たとえば、地面に穴を掘る時に、大量・スピード・効率といった「目的」があるならば、「手段」としてはシャベルカーのような重機がふさわしい、という結論になる。
 しかし、少量・正確性・手軽さといった「目的」であれば、スコップが最も適した「手段」として導かれるだろう。プランターにミニトマトの苗を植えるのにシャベルカーを使うバカはいない。

 アクアに戻して考えてみよう。例えば「底床材の選択」というテーマだとどうか。
 「目的」が、単に「南米産の小型魚と水草で綺麗にレイアウトした水槽を作りたい」であれば、合致した「手段」はソイルである。ソイルならその目的に合った水質を自動的に作り出してくれる。また別の目的、例えば「南米産の小型魚と水草を、自分で水質をコントロールして育て、魚の繁殖にも挑戦してみたい」という希望=「目的」があるのなら、水質を変化させない石英系の底床材を用いるのが「手段」としてふさわしいことになろう。

 「目的」が何であるかは、水槽を維持しているその人次第なのである。そして、その目的ごとに、ふさわしい「手段」は異なるのだ。

 この点、現状、アクアの世界では、目的の検討がおろそかになりがちである。例えば、肥料の効率、照明器具の効率、濾過の効率・・・みなさんにもすぐ思い浮かぶ例があるはずだ。当然他にも色々な目的が存在するはずなのに「高効率こそが第1の目的」と言わんばかりの風潮が見受けられる。水槽のキーパーそれぞれに違った目的があることが考慮に入れられていない。したがって、画一的な「正解」を求めようとする。
 しかし、「この手段こそ正解」などというものは、ほとんどの場合において存在しない。「目的」が異なれば、ふさわしい「手段」も異なるのだ。

 よって我々は、「手段の妥当性」を考えるときは必ず、「目的が何であるか」から発想するように気をつけるべきである。

 

3.但し、「目的が何か」を考えるには、そもそも「目的」が定まっていないといけない!

 「手段」の妥当性を「目的」から判断するにしても、その肝心の「目的」がはっきりしていなければ、どうしようもない。

 この点、アクアリウムの趣味の現状を見ると、様々なテーマが、目的不明のまま扱われていることが非常に多い。
 様々な本やサイトで、「疑問をもった人・質問をしている人が、どうしたいと思っているか」ということについてまったく顧みられないまま「こうすれば良い、こうするべきだ(=手段)」というアドバイスがなされている。
 そのような状態で「手段の妥当性」を論じても、正しい結論を出せるわけがない。「目的」がはっきりしていなければ、「手段としてどれが良いか」、あるいは「どうすれば良いか」などという答えを導き出せるわけがないのだ。 

 
 よって、

・ 本やサイトを見るときは、「どんな目的に合わせた話しなのか」を理解した上で読むべきである。その手段で“何を達成しようとしているのか”よく分からないものは、信じてはいけ・・いや、話し半分で・・・というか、てきとうに・・というか・・、まあ、そういう感じで読むべきであろう。

・ 質問するときは、「自分がどうしたいのか=目的」をはっきり言うべきであるし、書くべきである!

・ 回答する時は、「相手がどうしたいのか=目的を読み取るべし!」。示されていなければ、一般論以上に踏み込むべからず!
目的が分からなければふさわしい手段など示せない。無理に示せば、その質問者が望んでいない方向へ導いてしまう可能性がある。そのことを分かっておくべきである。

・ 水槽の手入れは、必ず「自分が何を目的にそうするのか」を意識して行うべし! 何となく液肥を投入してみたり、何となく水換えしたりしてみても維持の腕は上がらない。目的をはっきりもち、その手段でその目的が達成できたかどうかの検証を繰り返すことが、アクアリウム上達の王道である。

 以上のようなことを心掛けるべきであろう。

 

4.まとめ

 アクアリウムで取り上げられるテーマのほとんどは、“その人がどうしたいか・何を目指すのか”という「目的」によって、正解が異なってくる。したがって、何かを検討する場合・実行する場合は、「目的が何であるか」から発想することが重要である。

 


 余談ですが、実は、当サイトのコンテンツのすべては、ここでお話しした「目的―手段」という視点で貫かれています。よってコンテンツの中には、「目的―手段」という視点から書かれたものが多数あります。
 ですから、もしコンテンツの中で、私のヘタクソな文章と内容のややこしさのせいで主旨の理解しがたいものがありましたら、ためしにこの「目的―手段」という視点でもう一度読んでみてください。変な文章も少しは分かり易くなるかもしれません。  



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